MEMEX NOTE

素敵なことを少しずつ

大作を作ることについて

私の愛読書の一つに『ゲーテとの対話』があります。

エッカーマンが記した、晩年のゲーテとの交友の記録です。

 

エッカーマンはいわばゲーテの弟子のような存在で、詩作や作品批評をするエッカーマンに対して多くのアドバイスをしていました。

そして、そのアドバイスの一つ一つがエッカーマンだけでなく、何か大きなことを成したいと思う読者へのアドバイスにもなっています。

ゲゲゲの鬼太郎』でおなじみの水木しげる氏も、この本を暗記するほど読んでいたそうです。

 

ゲーテは詩を作ることの他にも、それを演劇にしたり、また自国だけでなく海外の作品に対する批評、自然や科学に対する考察なども行っていました。

ゲーテの家に来るお客様たちも、国の重要人物や、芸術家など、様々な人が訪れ、自由闊達なコミュニケーションをとっており、その時代の有名な人物がたくさん登場します。

ゲーテが褒めている作品を深堀していっても、きっと面白い作品に出会えるはずです。

 

さて、『ゲーテとの対話』を読んでいると、すぐに登場するエピソードの一つに、大作を作ることに関するアドバイスがあり、今回はそれに触れていきます。

 

君はこの夏、詩をつくらなかったのかね、とゲーテは私にききながら、話をきりだした。

二つ三つはつくりはしましたが、全体としてあまり気が乗りませんでした、私はこたえた。

「あまり大作は用心した方がいいね!」と彼は言葉をついで、

「いやまったく、どんなすぐれた人たちでも、大家の才能をもち、この上なしの立派な努力を重ねる人たちこそ、大作で苦労する。

私もそれで苦労したし、どんなマイナスを経験したか、よくわかっている。

そのおかげで、なんとまあ何もかもが水泡に帰しちまったことか!

私がまともにできるだけのことをちゃんとみなやっていたとしたら、そりゃ、百巻でも足りないくらいになっただろうよ。

 

ゲーテほどの詩の達人でも、大作はとても難しいものだったそうです。

彼の言いぶりだと、おそらく作っては捨て、作っては捨て、かなりの量の言葉がゴミ箱へと消えたのでしょう。

 

大きな作品に取り組んでいると、それが頭から離れず、他のことは何も浮かんでこなくなり、生活そのもののゆとりまでなくなってくるそうです。

 

特に詩の場合には、新鮮な感情やエネルギーが必要なものだと思いますので、一度そのイメージをつかみそこねると、別の機会に精神をもう一度同じ状態に持っていくことなどできなかったのでしょう。

 

私も創作活動をすることがありますが、大きすぎる作品を扱うときには、このエピソードを思い出し、気をつけるようにしないといけませんね。

 

さて、今回は大作を作ることに関するエピソードについて書きましたが、私はよくこの本を読み返しているので、もしかすると、これからもたびたび『ゲーテとの対話』の話をすることになりそうです。