最高の一日
とても忙しくて休みどころではないような毎日を過ごしていると、いざ休日という無地の空白に解放されたとき、何をしていいのかわからなくなってしまうことがあります。
仕事のことばかり考えすぎたせいで、いつも休みの日にどんなことをしていたか、すっかり忘れてしまうのです。
言わば、休むのが下手くそになってしまった状態です。
そんなときのために、忙しくてフラストレーションがたまっているときほど、やりたいことをメモするようにしています。
そうすることによって、いざ自由を得たときに、このやりたいことリストを宝の位置を示すコンパスのようにして、休日を過ごすことができるのです。
また、心に余裕があるときは、しばしば「最高の一日」について考えることがあります。
アメリカの女性作家アニー・ディラードは、彼女の書籍である『本を書く』で次のように述べています。
読書で費やした一日を、良い日という人がいるだろうか。
だが、読書をして過ごした人生は、良い人生である。
十年間、あるいは二十年間にもわたって、一日が次の日に酷似しているのは、とても良い日には思えない。
私が以前考えた良い一日は、スポーツなどで体を動かし、本を読み、夕方頃にラジオを聞きながらお菓子を食べられたら、最高だろうと思っていました。
ただ、それを毎日繰り返したところで、良い人生になるかというと、そうはならないであろうことは想像できますね。
良い一日と、良い人生は両立が難しいのかもしれませんね。
おそらく、両方を充実させる方法の一つは、比喩的な表現で言えば、何かの種を植えて、それを育て、大きな実を収穫するようなことなのではないかと考えます。
たった一日の楽しみではなく、長い時間をかけて、少しずつ労力をかけ、大きくなるのを楽しみ、期待して過ごしていくのです。
そして、人生の最後に大きな実を収穫できたら、しめたものですね。
良い一日、良い人生を得る方法は他にもいろいろあるでしょうから、これからもずっとこの課題については考えていくことになりそうです。